感情の蓋を取り払う

コロナが始まって3回目の夏を迎えています( ゚Д゚)ハヤイ

子どもが通う園の話です。

今年10月に行われる予定の運動会をしない、と決定したのは今年の4月でした。

半年以上も前に、運動会をしないことを決定した上、

ここ2年続けている狭い園庭での各学年の出し物(せいぜい5分程度のダンス)を完全入れ替え制でする、という結論を出した園。

それだけではなく、今年こそは再開されることを期待していたプール遊びも、

「プールに顔を付けたら唾液を通じて感染するかもしれない」という理由から

今年も子供たちはプールに入れず水遊び(ビニールプールにおもちゃを浮かべて遊ぶ)に決定されました。

近隣の小学校、中学校ではプールの授業は通常通りに再開されており、近隣の園でも普通にプール遊び、さらには運動会もコロナ禍であっても工夫をして実施されているようでした。

転園が頭にチラついたこともこの2年で何度かありましたが、どこかで園の対応が緩和されることを願って信じていたのですが、今年のこの園側の対応に、深く落胆してしまったのが本音です。。

この2年はずっと園の方針に違和感を感じてきましたが、今は園に対してもですが、声を全く挙げない保護者に対して疑問を感じています。

この所謂感染対策、子供時代の貴重な時間や思い出や、子供たちの発達、成長を阻害してまで「する必要」があるんでしょうか?

そして、内心モヤモヤや違和感を感じているにも関わらず、子供たちのことを本気で想って行動する人がほとんどいないというのは、どう考えても信じられない状況です・・・

結局何も言わなければこの状況を認めているという意思表示になる。

仕事が忙しいからそこまで考えられない、他の人の目が気になる、いくらでも理由を述べることはできますが、

あなたは本当にこの状況に満足していますか?と一人一人に問いかけたいです。

園と保護者はどこまで行っても対等関係であるはずです。

きちんとお金を払って子供を預けていることに対して引け目を感じることもなければ、申し訳なく思うこともないのです。

サービスに対して意見を申し伝えていくというのは利用者としてはごく当たり前のことだと思うのです。

争うことではなく、対話で伝えていくことは人との対立を生み出しません。

自分が感じている違和感や、モヤモヤに蓋をし、誤魔化して生きて行くとどこかで必ずそのしっぺ返しがあると私は思っています。

あの時、本当は○○したかった自分や、できなかった自分に対して無意識のうちに「マイナス評価」をしていたり、

さらには、結局「何もできなかった自分」

「どうせ何も変わらないだろう、と諦めてしまう自分」

「辛いのに平気な装いをする」

「悲しいのに笑顔で答えてしまう」

そんな自分を正当化するために色々理由を付けて「あの時の決断は間違っていなかった」と思い込もうとする。

そんな風に生きていると、押し込められた感情がパンパンになり、そこにまた蓋をしようとすると詰め込み過ぎたせいで苦しくなってきます。

そんな状態になると、たいていは身体に何らかの症状が出てきているし、メンタルもやられているでしょう。

そんな状態でいると勿論すぐ近くにいる家族にも影響があるでしょう。

たかが子どもの園の行事ごときで何をそこまで熱くなる必要があるんだ?!と思われる方も一定数いらっしゃるのは承知しています。

しかし、私は常々「で、結局自分はどうしたいのか?」を自問しているし、自分の瞬間瞬間の感情を大切にして生きて行きたいと思っています。

自分の感情という生ものを内に溜めることなく常に流して生きたいのです。